父のこと
2017.3.24 12:01 AM
今年創業45年を迎えた有限会社橋本建設商です。
久米のこの地域で皆様に長きに渡り大事にしていただき、頑張らせていただいております。
この会社を一から築き上げてきたのが、父、橋本浩晃です。
その82歳を迎えた父が、今年の2月1日 他界いたしました。
たくさんの方のお見送り、お心遣いをいただき、心よりお礼申し上げます。
上浮穴郡美川村東川(現在の久万高原町)に、8人兄弟の農家の長男として生まれ、父代わりとして、幼いころより苦労ばかりしてきた父の生きざまは、子供のころに話をきいて、可哀想で可哀そうでオイオイ泣いた記憶があります。
53年前、母と私たち子供を連れて松山の地にまいりました。4歳だった私は、ミカンの段ボール箱がテーブルであることが、不思議であり、また、家族でままごとをしているようで、親の気持ちもわからず、何かしら嬉しかったのを覚えております。
タクシーの運転手をしながら、休みの日には寸暇を惜しみ、大工現場での手伝いをしながら大工職人の道を決めたといいます。その頃の父の写真を見ると、睡眠不足と過労による疲れきった顔。夜勉強を重ねて、建築士、宅地建物など、次々と資格を取り続け、新しいものには、目を光らせ、松山でまだ殆ど使われていなかったCADを導入したのも父でした。弊社、事務所前に コンピューター設計橋本建設商 という看板があるのも、その名残りです。
橋本建設商の基盤を母と二人三脚で築きあげてくれました。
どんな時でも笑顔を忘れず、その明るさは、何事もなしえる原動力となっていました。母や私たち子供、孫、ひ孫にと それぞれに深い愛情を注いでくれた父です。誰よりも母が大好きな父でした。母を亡くした後、年をとっても、あんな可愛い子はいなかったと、いつも話しました。生まれ変わってもまた、母さんと一緒になるんだと。
会社の従業員であるみんなには、『親父』と呼ばれていました。親父が現場にきてくれて、大工の技を褒めてくれるのがいくつになっても嬉しかった。と。親父と行った釣りが楽しかった。親父と飲んだ酒が美味しかった。海外旅行が楽しかった。と。
若いころから続けた柔道は5段。
会社のみんなで船釣りに毎週のように行った時期がありました。もっとのんびりすればいいのに・・・と言われながらも懸命に釣る父は、ほとんど一番の釣果。
4年前に始めた卓球も、自宅に卓球場を作り、毎日練習に励んでおりました。そして、昨年、義弟が開院したいずみ診療所併設のみんなのホールは、父の人生最後の楽しみの場となりました。たくさんの仲間と卓球をするのが、毎日の日課であり、楽しみでした。
いつも 何事に対しても全力投球。ありったけの力を振りしぼる人でした。
いつも 笑顔の人でした。
いつも 人のことを褒めたたえる人でした。
いつも たっぷりの愛情をかけてくれる優しい人でした。
ありがとう!が口癖の人でした。
いくつになっても 子供のような嬉しそうな顔をする人でした。
会社のみんな、卓球仲間と飲むお酒が好きな人でした。
毎晩、夕飯で秀明と飲む酒と、その時間が好きだと言ってくれた父です。
みんなに愛される人でした。
そして、今、父は母に会って嬉しそうにしているに違いありません。
父が愛情をもって教えてくれたこと、伝えてくれたこと、バトンタッチしてくれたことを忘れません。 それを手本に、今そばにいてくれる人、これから出会う人、皆さんに対し、心から感謝し、社長であります主人、共に頑張ってくれている会社のみんなと一つになって、父が歩んできたレールを長いレールに変えてゆきたいと思います。
お力添えくださいます皆様に深く感謝し、これからのたゆまぬ精進を誓います。
今後とも どうぞよろしくお願い申し上げます。
橋本建設商のこのブログで、父のことを語らずしては、次のページに進むことができませんでした。
長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
父が30年前にデザインした事務所併用住宅 と 81歳10か月の父
橋本由美