坂本民夫様お疲れ様
2023.4.29 8:33 PM
坂本民夫様
あなたは 50年の永きにわたり専心職務に精励し、棟梁として匠の技で、当社の発展に貢献くださいました。
当社の嬉しい時も苦しい時も、浩晃・秀明と共にずっといて、そばで励んでくれました。
この度退職にあたり これまでの労をねぎらい心より感謝の意を表します。
思えば、とも兄を知ったのは、私が中学生の頃。
父のことを 親父と呼び、母のことを姉さんと呼んでいた。
橋本建設商にいたたくさんの大工さんを 常にまとめ、弟子で入った者には いつも教える役目を担ってくれた。
サラリーマンだった主人が 事情あって 会社に入社するようになった時、
誰よりも親身になって心配し、励まし、指導してくれたのが とも兄だった。
どんな時も そばで 頑張ってくれた。
そのとも兄が、ついに 退職という言葉を口にするようになった。
68歳の今、お袋が 元気なうちに 田舎で孝行しておきたい。
それが一番の理由のようだった。
本当に残念ではあるけれど、とも兄の 感謝とお疲れの会を行った。
挨拶の時、社長も 私も とも兄も 涙があふれて仕方なかった。
お疲れ会の後は、ホテルの一室で、夜中まで バカ騒ぎをしたのでありました。
この工場で 棟梁として 墨付けや 加工 を し続けてくれた。
どんなに神経をすり減らすかわからない細かな仕事。
出来て当たり前と思っていたら、それができる人がいない時代。
とも兄は 橋本の宝だよ。
私は何度口にしたか しれないよ。
会社が創業した時から 見てくれていた。
苦しい時もあった。大けがをした時もあった。
でも 楽しいことが多かった。
毎週のチャーターでの釣。
シンガポールに始まって 何か国もの海外旅行や国内旅行。
総勢100人近い人数での 忘年会。
みんなでの飲み会。
思い出せばきりがない たくさんの思い出。
とも兄は、私のことを 大切な妹だと よく言ってくれたね。
父さんと 秀さん(社長)と とも兄
3人で こんなに嬉しそうに笑っている写真が あった。
とも兄 50年間 本当にお疲れ様でした。
少し時間ができたら、また 助けてね。